今年の題詠作品はあまり推敲できず、よい歌が作れなかったような気がしていましたが、いざ選んでみると、それでも二〇首ほど採ることができました。以下が今年の自選歌です。
塩田に結晶しつつある詩(うた)をこころの底を浚(さら)ひつつ聴く
ドラマーの叩くタムタム美(は)しき汗の民を想ひて薬湯飲めり
窓外の守宮(やもり)の腹のしづかなる永劫の夜 書(ふみ)を読みさす
アジアの岸辺を航(ゆ)く船のあり海霧(ガス)深く溶け入る時に愁ひ凪ぎたる
頭より赤錆びてゆく釘ひとつ自転車も馬も夢に濡れゐて
豆腐屋の喇叭に豆腐を買ひゐたり冬の街場は影の音(ね)響く
くらき低地の運河ゆく舟遅遅として雨に撃たるる爛れし族(うから)
鯖の腹割けば内部(うち)より過去の舟のなまぐさき帆に放てる炎
存在の秋(とき)は過ぎにし曇天を突きさす檜(ひのき)寒く聳ゆる
納豆かけごはんの粘る玉響(たまゆら)の懈(たゆ)きを思(も)へば降る草の雨
鈴掛(すずかけ)の樹肌をなでて春雷の遠のく午後をゆつくり濡るる
連凧さばく手さき優雅なわかき父をねたみしわれに天の水渇く
母照らせし熊座のあはき星かげの微塵のそらをただよへる笛
霜月の虎落笛(もがりぶえ)鳴る北国に夢の氷塊切り出してをり
根太葱買つて曠野を越え来(きた)る冬の根室にねぎま鍋炊(た)く
鬼籍より届くメールの深更に青黴乾酪(チーズ)を切り分けゐたり
風騒ぐ瀬瀬にひそめる夜の鮎緑の暈(かさ)をまとふ月かも
虹顕(た)ちて友の雅量に謝すゆふべ古酒酌みかはせば篁さやぐ
横死遂げたり甘美なる雨顔打ちて無花果(いちじゆく)のごとし若きくちびる
朝朝のうがひの空の秋つばめ銀の盥に風切(かざきり)映し
一皿の桜桃恵まれたるゆふべ夏の少女は白馬(あを)に乗りて来(く)
別れの刻 瑯かん山河に鏤(ちりば)めて冬の摩周湖そこしれず澄む
むかしとんぼ複眼冱えて全世界鑢(やすり)のごとしけふ五月尽
地下室の手帖の皮の罅現(あ)れて従軍の伯父の日録凛(さむ)き